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二週間にわたってお休みしてしまいました。面目ないことです。

さて、さくさく本日のゼミの感想に入ります。
京都を舞台にした恋愛マンガを描いてくださった方がいらっしゃいました。

内容は失恋をした主人公(たしか大学生)が、まさに先週フラれた場所である鴨川沿いで、
おばあちゃんとばったり出会う。そして、そのおばあちゃんとの会話から「恋をまたはじめよう」と思う、というものです。

この作品に三河先生は「恋って、もうちょっと悶え苦しむ、業の深いものかもしれない」とコメントしていました。そこから、70歳の人の恋心ってどんなだろう、養老院、社交ダンスまど、様々な話を織り交ぜつつ、みんなで色々話し合いました。

僕は(恋愛マンガってどう描けば良いのだろう、難しいな)と一人考えていました。
恋愛って、極めて個人的な経験であるので、それぞれのエピソードを挙げていけば、まさに十人十色だろう。ただ、人は基本的には自分の経験プラス想像力でしか、物事を理解したり語ったりすることしかできないので、ひょっとすると、恋愛モノは、ディティールを描き込めば描き込むほど、個人的な話になり間口が狭まるのではないだろうか、と思った。

実際、自分に似た主人公であれば共感しやすく読んでいて楽しい、という発言を聞いたことがある。その「似ている」とは主に境遇と考え方を指すらしい。共感は確かに物語を楽しむ上で、不可欠なものだと思う。物語に入り込む道筋は多々ある中で共感は最速であろう。

(ああ、分かる)とうなずくのが気持ちいのは、相手を肯定すると同時に、自分で自分を肯定しているからだ。自分を肯定してくれる物語。これは次の展開がどうこうよりも、ひたすらに読んでいる間の感触がよいのだ。

う~む、やっぱりじゃあ、あんまり緻密に描くよりも、ざっくりと輪郭だけをとるようなお話の作り方した方がよいのだろうか。ひょっとして、その極めて個人的なエピソードを突き詰めていけば、誰もが思うような普遍的な場所につながることができるのではないかとも思う。

僕もひそかに恋愛に関するお話を作っているので、色々考えます。この問題についても引き続き考えます。では、みなさん、夏バテになぞならぬようにお願いします。
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早くも六月も中旬ですね。Hachiです。
梅雨です。雨がはらはらばらばら落ちてくる日が続きますね。

雨と言えば、江戸時代の絵描きである歌川広重は東海道五十三次の中に、
「大磯(虎ケ雨)」という作品を残しています(今調べました。ビバ情報社会!)。

実際に見ていただくと分かると思うのですが、歌川広重は空から降る雨を細い線で表現しているのです。これは今となってこそ当たり前の表現ですが、実は物凄く画期的なことなのです。

それはなにか。

ずばり言えば、「一瞬ではなく、ある一定の幅をもった時間を切り取っている」という点です。
雨が筋となって見えることは確かにある。けれどもこれを実際に絵の中で再現してしまう感覚は
日本人特有のものです。こういった表現は西洋美術の中では見られませんでした。
美しくめぐる四季の中で、時と戯れ、時を愛でる能力を培ってきた日本人ならではです。

という話をさも自分が気づいたように書いてみましたが、TVショーの受け売りです。

で、本日、イギリスの方々が取材のためゼミにいらっしゃって、
竹熊先生と三河先生と質疑応答をされていました。その中で、竹熊先生はおっしゃいました。

「日本のマンガは時間の表現が独特なんです」

実際はちょっと違う文脈で使われていた言葉なのですが、これを聞いて、
僕はふと冒頭で書いたような歌川広重の話を連想しました。
確かにヨーロッパのバンドデシネには、動きを表す効果線がまったく見られないように思う。
「幅のある時間を一コマの中で表現してしまう」
ここが一つ、日本のマンガの大きな特徴と言ってもいいかもしれません。

今日の質疑応答は、改めてマンガ表現の円熟を確認した一時間でした。
その独創的な円熟ゆえに、世界に日本のマンガがいま一つ根付かないのかもしれません。

考えるべきことがたくさんありすぎて、整理しきれていないので、本日はこのへんで。
明日は関西ウォーカーの取材なので、早く寝なくっちゃ!

~おまけ~

三河先生の名言

「日本のマンガはファッションのようです。男性物・女性物、大人物・子供物。また年齢層によっても服装は変わりますでしょう。日本のマンガはそのように多岐にわたっているのです」

確かにニーズに応えながら、裾野を広げ同時に洗練されていく点は一緒だなあ。

こんばんは。お昼に読んでいる人はこんにちは。水曜担当のHachiです。
最近は寝ることに喜びを見出しすぎて、寝る前にドキドキワクワクして眠れません。ありゃりゃ。

今日は関西ウォーカーさんに載せる記事の内容について話し合っていました。
夏の京都のおすすめスポット(たとえば水遊びできる場所など)をみんなで列挙しようとなって、
いの一番に元気よく「ゆかどこ」って答えてしまった。

……本当は「川床」って言いたかったのに。
「ゆかどこ」って漢字に直せば「床床」ではないか。なんだそれ、屋上屋を架すみたいなことか。
自信満々に発言するから、ほら誰もツッコンでさえくれないじゃないか。おたんこなす。
と自らに懲罰的反省をうながておいた。それにしても「ゆかどこ」は楽しそうな気配がしない。

以降、狭い世界で生きている僕が「京都のおすすめスポット」というお題に答えられる訳もなく、
みなさんが「タオル専門店があるよ」「おかきがリーズナブルなお値段で食べられるお店は?」
みたいな話を楽しそうにしているのを物欲しそうに眺めていたのでした。

終盤、「関西ウォーカーにゼミ生の何人かの顔写真が載るのだけれど誰にしようか?」という
論題になった際に、三河先生が、

「こういうのは笑いが取れなきゃいけないから、Hachi君!」

と高らかにおっしゃった。
さらに続けて、「不気味に笑ってね」と表情の指示まで出されたので、
「任せてください」となけなしの力を振り絞って答え、本日のHPはゼロになった。

まったく神も仏もありませぬ。


春眠暁を覚えず、という言葉があります。
春はとにかく眠いよね、ぐらいの意味らしいのですが、僕は今眠い。

ここ三日間連続で一日十五時間は寝ており、
ついに本日オーバースリープゆえの頭痛に見舞われました。気持ち悪い。

唯一の救いは人生初の明晰夢を見れたことです。
夢の中なのに起きている間と同じくらい意のままに動くことができる
というアレです。嫌なやつを人体解剖図という本でぼこ殴りしました。
目覚めて自己嫌悪。ちなみに、この季節は低気圧と外が暗いのと二つの
要因で生き物はみんな眠いらしいです。

前置きが長くなりました。さて、本日のゼミは全体で一本の作品を批評しました。
情報過多で分かりにくいところの見られる作品だったということもあり、
竹熊先生&三河先生は日頃以上に厳しいことをおっしゃっておった。

曰く「主人公一人の感情しか描いてなくて関係性が描けていない」
曰く「この人の敗因はストレートが投げれないのに変化球に挑戦したことだ」

それから、お二人は新人に多く見られる傾向についても言及していました。

曰く「過去回想をやたらと入れて物語を作った気になっているけれど、
実際のところ分かりにくい」
曰く「ひねったものを書けないのに基礎的な構成では書きたくはない
というやつは何も書けないことになる」

などなど、そして最終的に竹熊先生の一言。
「(ツッコミどころの多い作品は)サンドバッグだね」
おお、やはり編集者は言葉を武器とするファイターなのですね。
作品をよりよくするために、
ときには、作者の目を覚ますために痛烈なパンチを放つ。

ここでちょっと話は変わって、最近僕は、
人が悩む原因は一つの考えから離れられなくなったときなのでは
ないだろうかと思っています。

たとえば、失恋したとき
(その人ともっと長く付き合っていられたら)
という発想から距離を取ることができずに、
空を見てもお風呂に浸かっていても、そのことばかりを考えてしまう。

というみたいなことがあるとき、これは失恋のショックが大きすぎて、
まるで残光みたいに心にずっと残り、他の考えに逃げることができないから辛いのです。

つまり、一つの考えが頭にこびりついてしまったとき、人は苦しむということです。
こういうことは物語を作っている過程でも現れる。勘や直感やひらめきなど言い方は
いくつかありますが、要はアイディアが降りてくる瞬間の<アハ体験>がそうです。

そのアイディアがなんだか体か頭にしっくりと来てしまうと、
上手く距離を取ることができなくなる。
すると、他のアイディアを出しても、念頭に<アハ・アイディア>があるから、
どうしてもその亜流にしかならない。
こういうことは自分が出したアイディアでなくても起こりうるから困る。
他者のアイディアが素晴らしすぎて、作品がはからずも引っ張られていき似通ってしまう。
うむむ、と頭を抱えて困り果てる。

という風に自覚がある場合はいいけれど、一つの<アハ・アイディア>に
とてつもない自信を持ち、
(この作品は傑作に違いない)
と思い込んで、読者への気遣いや客観性をどこかへ置いてきてしまう場合、
ここできっと編集者の華麗なるストレートパンチがバチコンと炸裂するのでしょう。

編集者の仕事の一つに、
「作者をいったん作品から引き離す」というのがあるように思います。

一つの考えから離れられないのは危険な面もある、と承知して物語づくりに臨みたいです。
なんだか無茶苦茶長い文章になりました。最後まで読んでくださった方ありがとうございます。きらっ。

こんばんはHachiです。

今日はTMゼミで今後のWebをどう展開するかを話し合いました。
「ゼミの活動を丁寧に記録で取り、作品ができあがる過程も発表する」
という方針が打ち立てられました。

作品からは知ることができない、その裏側をみなさんにお見せできればいいなあです。

実際、今<年少チーム>で制作中の作品を例にとってみると、
ああでもないこうでもない、と議論を重ねながら大きく変わっていっています。
作品を少しでも良いものにしようと出された案は数知れず。そして、ボツになった案も数知れず。

サザエさんで、いささか先生が原稿を丸めてぽいぽい後ろに放り投げるシーンが
あったような気がしますが、まさにあんな感じです。出しては出しては捨てていく。

三河先生もおっしゃっていました。

「案はいくらあってもいい。まず、案をありったけ出して、そこからシンプルにしていくの」

様々な情報が入り乱れている熱い渦の中から面白いものが生まれてくることを信じて、
<年少チーム>は行きつ戻りつ、僕がみんなを混乱させながら、必死に歩んでいるのでした。

それにしても、打ち合わせの際はもっと自分の思いをきちんと言葉にしたいな。
精進精進。

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